JR東海が大井川上流部の川沿いに計画している「残土の山」についての話題です。
図1 大井川上流部に計画されている残土の山
Google Earthより複製した図にJR東海資料(図2)を合成。黄色の部分が発生土(残土)の山。南北2か所に積み上げ、北側のものは最大幅300m、長さ450~500m、高さ65~70m。残土山の対岸が巨大な崩壊地となっていることに注意。
ここに360万立方メートルもの残土を、文字通り山積みするにあたり、JR東海が周辺の地形・地質条件や川の流路変動をどのように考慮しているのか、繰り返しますが、皆目見当がつきません。
やっぱりこの計画は無謀だし、もしかしたら実現させる気がないのかもしれないなんておかしな考えも浮かんでしまう…。
JR東海の計画では、盛土の設計はこうなっています。
図2 発生土置場の計画
JR東海ホームページより複製。下の断面図では、ふつうの地図概念と異なり、右が西となっている。
現在、210mほどある谷底の平坦地(河道・河原・河畔林を含む)を、幅165mにわたって盛土するとのこと。2割を残して残土で埋め尽くすということになります。
いっぽう川を挟んで対岸には大規模な崩壊地があります。Googleの衛星画像で一目瞭然だし、1947(昭和22)年に撮影された空中写真でも明瞭。半世紀以上にわたって崩れっぱなしとなっています。なお防災科学研究所による空中写真判読では、一帯が大規模な地すべりとなっている可能性も指摘されています。
図3 1947(昭和22)年当時の燕沢平坦地
国土地理院ホームページより複製・加筆。当時日本を占領していたアメリカ軍が撮影したもの。平坦地の上流側半分は厚さ数mの未固結層であり、大井川が微小な段丘を形成しながら下刻していると思われる。南側半分では流路後が網目状となっていることにも注意。
ところで、崩れ落ちた土砂は、平坦地に到達すると運動エネルギーを失い、移動を停止して堆積することになります。その結果、崩壊地の下方には円錐状の高まりが生じます。
真下には川が流れています。そこに土砂が崩れてきて小山が生じるのだから、川の流れはそこを避けて流れることとなる。けれども固まっていないから、流れの勢いが増すたびに削られ、下流に流されてゆく。そして次第に平坦になってゆく。こうしたプロセスが現在でも続いていることは、過去の空中写真を比較すれば明白です。
が、JR東海はそこに「巨大残土の山」を築く計画です。平坦地の幅は現在の2割にまで狭められることになります。すると単純に考えれば、崩壊した土砂は盛土に行く手を阻まれ、川の流れを塞いでしまうのではないでしょうか?
どのくらいの崩壊土量で河道閉塞が起こりうるのか、ちょっとごく簡単に計算してみたいと思います。
残土置き場の計画断面図と地形図より、
右岸斜面の勾配を45°
盛土の勾配を30°
右岸と盛土との間の長さ(河底の幅)50m
盛土の勾配を30°
右岸と盛土との間の長さ(河底の幅)50m
とします。
この場合、沖積錐の勾配を安息角の30°とすると、体積8.9万立方メートルの沖積錐が出現すれば、川はふさがれることになります。
図4 幅50mの川幅を埋め立ててしまう山崩れの規模
つまり本来なら川が迂回するためのスペースを残土で埋め立ててしまうことで、簡単に川がふさがれてしまうわけです。
9万立方メートルの山崩れ…。
この程度の崩壊は、赤石山脈の一帯では数年に一度は起きていると思われます。
最近では平成25年4月23日以降に、静岡県浜松市天竜区で崩壊土量5~7万立方メートルほどの地すべりが起こり、次第に直下の川を塞ぎそうになったため、対策工事が行われたという事例があります。テレビで全国放送されたため、ご記憶の方もおられるかと存じます。
「春野町 地すべり」で検索すると、いろいろと画像が出てきます。YouTubeに動画も公開されています。
また平成23年の秋には、台風15号の通過に伴う豪雨により、浜松市旧水窪町の山奥で巨大な崩壊が起きています。崩壊土量は150万立方メートルと推定され、谷を埋め立ててしまっています。ただし源流部ゆえに流量は少なく、下流への影響は出ていません。土石流等の危険性も低いため、そのままにされています(無人地帯ゆえに発生日時は不明)、
http://www.jsece.or.jp/event/conf/abstruct/2012/pdf/T1-04.pdf#search='%E6%B5%9C%E6%9D%BE+%E6%B0%B4%E7%AA%AA+%E5%B4%A9%E5%A3%8A'
http://www.jsece.or.jp/event/conf/abstruct/2012/pdf/T1-04.pdf#search='%E6%B5%9C%E6%9D%BE+%E6%B0%B4%E7%AA%AA+%E5%B4%A9%E5%A3%8A'
人命が犠牲となった大災害としては昭和36年6月29日に長野県大鹿村で起きた「大西山崩れ」があげられます。崩壊土量は370万立方メートル、崩壊深度は平均25m、幅280m、奥行き440mとされています。
今般の熊本地震において、南阿蘇村で大規模な山崩れが起きていますが、やはり赤石山脈一帯においても、過去の大地震においては、大規模な崩壊が相次いでいます。中には安政東海地震時の七面山崩れ8山梨県早川町)や宝永地震時の大谷崩れ(静岡市)のように、崩壊土量が数千万立方メートルとなる事例もありました。
このような事態となれば、たまった水と崩壊度とが一挙に流れ下り、大規模な土石流となる可能性があります。最寄りの井川集落までは40㎞近く離れているため人命・財産への影響はまずないでしょうが、河川環境の悪化は確実。
もちろん南アルプスは、自然現象としての河道閉塞や大規模土石流が起きてきた場所です。過去には数千万立方メートル単位の崩壊が起きたこともあり、そうした履歴のうえに現在の景観が成立しているわけです。むしろ、それが南アルプスの特徴とも言えるでしょうし、たかだか1回の河道閉塞ごときで河川環境が壊滅することはありえないでしょう。長い年月の後には自然は回復するとてつもない力を秘めています。
けれども、わざわざ人為的に大土石流を招いて環境を著しく悪化させかねない計画については、今一度その是非を考え直す必要があるはずです。