先日14日、東京都内にて登山者による「リニアで南アルプスを壊さないで」というイベントが催されたそうです。
その内容については
南アルプスは大丈夫? リニア新幹線を考える登山者の会
ジャーナリスト樫田氏のブログ
にて紹介されています。
登山者が大規模なイベントを開催したということで注目され、マスコミにも取り上げられたようですが、私には次の点に着目しました。
樫田氏のブログから一文だけ引用させていただきます。
今回の集会では、ゲストスピーカーの発言がなかなか考えさせてくれました。
「サバイバル登山」(極力装備をもちこまず、食料も自給しながらの登山)の第一人者である服部文祥さんはこう発言したのです。
「個人的にはリニアには大反対。でも、複雑な気持ちをもつ。登山家だって林道やトンネルを利用しながら登山している。その利便性を享受しているのに、リニアには反対と周囲に言い切れない」
「サバイバル登山」(極力装備をもちこまず、食料も自給しながらの登山)の第一人者である服部文祥さんはこう発言したのです。
「個人的にはリニアには大反対。でも、複雑な気持ちをもつ。登山家だって林道やトンネルを利用しながら登山している。その利便性を享受しているのに、リニアには反対と周囲に言い切れない」
服部氏の活動には眉をしかめる方も多いようで、失礼ながら私も「山賊かい?」と思っていたのですが、なかなか考えさせられる言葉です。
このイベントと関係あるのかもしれませんが、登山者向けの情報交流サイト「ヤマレコ」においても類似の問いかけがなされておりました。
こちらの方は、「谷川岳のトンネル建設は許され、その利便性を享受しているのに、なぜ南アルプスのトンネル工事はダメなのか。もっともっと利便性がよくなればいいじゃないか?」という問いかけです。
この種の自問と、それへの見解は非常に重要であると思います。それなのに、それが”反対側”からなされぬことについて、前々から非常に気にしておりました。例えばリニア建設など比較にならない規模であった新東名高速道路や、リニアと直交する中部横断道の工事については目立つ反対の声は聞こえなかった。これはなぜ?というわけです。
リニアはNO!でこれはOKなのはなぜ?
中部横断道 興津川橋梁(静岡市清水区郊外 2015年2月撮影)
山梨県から静岡県にかけて南北に里山地帯を貫く高速道路である。
用地買収をケチったのか、住居のすぐ横に巨大橋脚がある。
山梨県から静岡県にかけて南北に里山地帯を貫く高速道路である。
用地買収をケチったのか、住居のすぐ横に巨大橋脚がある。
中部横断道と新東名高速道路とのジャンクション(静岡市清水区郊外 2016年2月撮影)
ここの改変工事だけでリニア中間駅の数倍の規模であろう。左手前が中部横断道、左右に延びるのは新東名。右奥に延びるのは東名高速との接続道路。トラックが転落する事故があった。写真には写っていないが、関連農地整備、河川付け替えの工事も大規模に行われている。
ここの改変工事だけでリニア中間駅の数倍の規模であろう。左手前が中部横断道、左右に延びるのは新東名。右奥に延びるのは東名高速との接続道路。トラックが転落する事故があった。写真には写っていないが、関連農地整備、河川付け替えの工事も大規模に行われている。
新東名高速道路の新静岡サービスエリアの巨大盛土。(静岡市葵区 2015年2月撮影)
高さ30m、盛土量300万立米超が上下線それぞれに設けられている。リニア車両基地よりも規模が大きい。
これについてしばらく考えておりましたが、私なりの見解は以下の通りです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日本中、海でも山でも川でも湖でも、いたるところで大規模な土木工事が行われてきました。自然環境に限らず、美しい街並みや農村・漁村の光景も同じ歩みをたどってきました。干拓・埋め立て事業など、対象となる環境が根こそぎ消えてしまったケースも多々あります。
山岳地といえども、立山黒部アルペンルート、谷川岳周辺、南会津、紀伊山地など、ダムやトンネルだらけとなってしまったし、乗鞍岳や富士山のように、一大観光地と化してしまったところも数多くあります。大規模構造物の少ない南アルプスといえども、現実には大小の発電用ダムが造られ続け、南アルプススーパー林道の建設でも大きな反対運動がありました。
過去の大工事は許されて、どうして南アルプスではダメなのか。
これまで開発の恩恵を受けてきた人間に、どうして今後の開発を否定する資格があろうか。
この問いかけは、事業を進めたい側が、批判する側が答えられないであろうことを期して用いるレトリックでもあります。例えば福島第一原発事故後において、脱原発の風潮の広まるに対して、「さんざん電気を使ってきたくせに何を今さら?」という声が”推進派”から巻き起こりました。
さて、私はこの種の問いかけは、設問自体が無意味ではないかと思います。第一に利益の享受を理由に今後も同様の事例を踏襲することが求められるのであれば、「考え方を改める」「失敗に学ぶ」ことが許されなくなってしまうからです。
「コモンズの悲劇」という言葉があります。1968年にアメリカの生態学者ギャレット・ハーディンがサイエンス誌に投稿した論文に基づく、環境問題や資源問題の基本的概念です。それは以下のような寓話です。
コモンズとは共同の牧草地のことである。みんなが家畜に草を食べさせる。家畜の数が少ないうちなら、やがて草が再生してくる。けれども「これぐらいならいいだろう」として、各人の食べさせる量が増えてくると、やがて草の再生力を上回り、牧草地は荒れ果てる。そして共倒れになる。
乱獲、環境汚染、資源枯渇を杞憂した寓話です。つまり、際限なく開発や環境汚染や資源奪取が進められることは原理的に不可能であり、どこかでブレーキをかけなければ、マトモな人間社会は維持できなくなります。日本の人口構成を考えると、維持管理を踏まえた社会的な視点からでも同じことが言えるでしょう。ところが「利益を享受している人間には今後の開発について反対する資格がない。」式の考え方が固定化してしまうと、ブレーキについて考える余地がなくなってしまうのです。
土用の丑の日が近づいていますが、そのウナギ資源は減少の一途をたどっています。規制をかけねば、資源は枯渇に陥るでしょう。しかし「これまでも食ってきたんだ。規制などかけるな。」を持ち出してしまい、世論がそれに従ったら、本当に絶滅してしまうかもしれません。将来世代から恨まれること必至でしょう。
第二に、あらゆる事業は、それぞれの自然条件、社会条件、社会的要請、目的、進め方、当時の価値観の下で計画が立案されて行われてきたのであり、「他の開発行為」による恩恵が広く享受されていたとしても、議論の対象となっている当該事業を正当化する理由にはならないことがあげられます。
例えば広島県福山市の鞆の浦架橋計画は、景観破壊の懸念により地元住民から異論が続出して中止となり、トンネル計画に変更された。この場において「他の場所でもやってるから橋でいいじゃん」は、おそらく架橋計画推進の根拠とはなりえなかったでしょう。
あるいは山岳地において、ダム開発を事例に考えてみます。
昭和20年代の日本は、現在では考えられぬような電力事情でした。戦災により施設が疲弊したうえ、復興と朝鮮特需に端を発する需要の高まりに、供給が全く追いついていなかったためです。これに対し、国立公園とされている地域内において、大規模な水力発電計画が持ち上がりました。
主要なものをあげると、尾瀬ヶ原湿原(日光国立公園内)や上高地一帯(中部山岳国立公園内)をダム湖に沈めようというもの、黒部第四発電所計画(同)、熊野川水系(吉野熊野国立公園内)などがあります。現在、尾瀬ヶ原や上高地は水没を免れ、著名な景勝地となっていますが、黒部峡谷や熊野川の峡谷はダムだらけとなりました。日本初の大型ダムである佐久間ダムが完成していた当時、「天竜川でもやっているんだからいいだろう」式の考え方を敷衍していれば、4つとも水没していたはずです。しかし、そうはならなかった。それぞれ、思惑や自然条件や世論が異なっていたからなのでしょう。
特に尾瀬ヶ原計画はGHQの後押しを受けた商工省が積極的に推進し、自然保護を管轄する厚生省(当時)や文部省に対しては、切羽詰まった電力事情により「コケか生活か」という世論や新聞社の反発が非常に強かったようですし、世論操作のようなことも行われていたようです。必要性と説得力としては、リニア中央新幹線なんぞとは雲泥の差があった。
それにも関わらず尾瀬ヶ原は水没を免れ、今では何事もなかったかのように大勢の観光客が訪れる…。これはなぜだろうか? ”日本の自然保護の原点”とされる事例ですので、 「南アルプストンネル反対!」を主張するのであれば、この歴史を学ぶことが重要かと思います。参考文献は文末に記しておきます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
なお私は、個人的な感情としてはトンネル工事はやめてもらいたいのだけど、感情では議論が成立しないとも考えております。反対する側の心情としては「南アルプスは大事だ」と強調したいのだけど、「トンネルを建設して利便性を高めることは公共の利益」といった価値観と、どちらが優れているのかは、全く分かりません。おそらく永遠に答えは出ないでしょう。だからこそ議論が必要なのであり、そのためにも、単純な反対論は功を奏しないと思います。
よって、以下のような疑問点が解消されるのであれば、トンネル建設やむなしと考えます。
①事業を進めるだけの説得力が不足
②利益の不平等性
③静岡県通過の問題
④「建設の意義」についてルート選定過程において十分に検証していない
⑤進め方に問題が多く、このままでは多方面に迷惑が及ぶ。
これら四大問題点について、JR東海なり政府なりが、きちんとした説明・対策を行うのなら、造ればいいじゃんと思うのであります。
以下はこのブログで再三繰り返していることになります。
①事業を進めるだけの説得力が不足
終戦後から高度成長期にかけては大規模開発のラッシュであった。これは戦後の混乱期に不足していたものを確保するためであった。食糧不足に対しては農地確保のために干拓が、電力不足に対してはダム開発が、木材不足に対しては奥山の伐採…といった具合である。戦後に頻発した水害対策のために造られたダムも多い。高度成長期の終了後も、バブル期の大規模リゾート開発に代表されるように、開発の勢いは日本中に及んだのである。
今、大規模な土木構造物が存在していない地域というのは、過去の開発対象とされなかった地域である。他の地域での開発が進んできた結果、残された”自然豊かな”地域として、多くの人―個人から行政まで―が大事だと考えている場所であるし、だからこそ「ユネスコエコパーク」に登録されたはずである。文化財や街並み保存にも通底するが、そのように多くの人が価値を認める場所では、その価値を大きく損ねかねない開発行為は、必要不可欠な最低限なものにとどめるべきである、と私は思う。
リニア中央新幹線計画には「必要性」がどの程度あるのか、説得力のある具体的なデータで示されていないのが実情である。これでは、計画に疑問を持つ側にとっては、必要性が感じられないままであろう。
②利益の不平等性
過去の工事が、自然や生活環境を犠牲にして進められてきた一方、わずかながらも地元に還元される利益はあった…と思う。っていうか、そうでなければ合意形成は図れないし、利害調整できずに事業を強行したなら、それは諫早湾干拓事業に代表されるように失敗事業の範疇にくくられると思う。
例えば立山黒部アルペンルートの出現により、黒部川や立山の自然環境は、おそらく以前とは大きく様変わりしてしまったに違いない。けれどもその一方、年間100万人の観光客を呼び込む、国内屈指の山岳観光地となったのも事実である。推測の域を出ないけど、観光収入は、発電によって得られる利益を上回っているのではなかろうか。
話を南アルプス一帯に向けると、そこを流れる大井川では大規模なダム開発、北部ではスーパー林道建設といった大規模工事がなされた。ダム建設では多くの集落を湖底に沈めたり、資材運搬のために道路や鉄道(JR飯田線、大井川鐡道)を建設するなど、付帯工事による環境破壊も甚大であった。最近では新東名高速道路が静岡県の里山地帯を大々的に破壊して完成したばかりであるし、中部横断道の建設工事はまだ続いている。
けれどもこうして出現したダム湖が地元の観光資源になっているし、道路や鉄道は地元に欠かせない交通手段となっている。電力関係施設が存在することにより、地元経済の一翼を担っているのも事実である。新東名の完成により、東名の渋滞は明らかに緩和されたし、遠方から静岡県内陸部へのアクセスは確実に向上しているようである。
ところがリニア中央新幹線は、南アルプスを計53㎞のトンネルで通過するだけである。上越新幹線の越後湯沢や上毛高原、青函トンネルの奥津軽いまべつに相当するような地元駅はない。地元としての利用価値は極めて薄いし、中部横断道が建設中であることを考えると、リニアが南アルプスへの主要交通手段になるとも考えにくい。ダム湖のように施設を目当てとした観光客も期待できないだろう。けれども環境破壊による負荷は、高速道路建設と変わらない。誤解をおそれずに言えば、原発よりも地元への経済的利益は薄いのではないだろうか。
すなわち大工事の影響を直接受ける地域へのメリットが希薄だと思うのである。①と重複するが、かように「負担だけ」を地元に押し付ける行為を正当化する説得力は弱いし、そもそもどのような論理でもって許されるのだろうか?
③静岡県を通過の問題
リニアは大井川最上流部を10㎞にわたってくぐり抜ける。ここは静岡県静岡市である。無人地帯ゆえ、当然駅はできないが、一方で工事用の斜坑2本と工事用道路トンネルが掘られる。駅のできない静岡県内に計33㎞のトンネルが掘られ、360万立方メートルの残土が置き去りにされる。
この残土を大井川の河原に山積みにする計画である。ところが河床変動の激しい場所であるし、周囲は山崩れ・地すべりだらけである。河道閉塞や流路変動にともなう崩壊の助長など、土砂災害の誘発が懸念されるところである。
また、これだけトンネルを掘るため、大井川の流量が年平均で2㎥/s減少するという試算結果が環境影響評価書に記載された。この大井川は、水力発電用に大量に取水され続けた歴史をもつ。河原砂漠となった惨状から、地元より長年の「水返せ運動」が続けられ、1989年、中電・塩郷ダムからの放流を、冬季は3㎥/s、夏季は5㎥/s放流させることが実現した。また、最上流部(リニアトンネル頭上)の田代ダムから早川水系に導水している流量についても、2005年に年間最低0.49㎥/sを本流に流すことが決まった。リニアのトンネル工事にともなう流量減少は、一連の「水返せ運動」の努力を無に帰してしまうおそれがあるといえる。
その他、乗客避難誘導の義務が課せられる、工事車両が大量に出入りするのに道路改良は行わない、リニア開業後は東海道新幹線”のぞみ”廃止など、不利益ばかりである。
駅ができず、リニア開業のメリットが皆無な静岡県において、リニア建設にともなう大々的な自然破壊だけを押し付けるのは間違っているのではなかろうか。
⑤「建設の意義」についてルート選定過程において十分に検証していない
リニアの建設目的は「大災害に備えて二重系統化」である。しかしルート選定にあたり、東海地震/南海トラフ大地震が発生した際、南アルプスがどのような地殻変動を起こすのか、一度も考慮されていない。これまでの項目と関係するが、大々的な負担を押し付けて建設し、いざ大地震が起きた際に東海道新幹線と同時被災してしまったら、全くのムダになってしまう。
⑤進め方がメチャクチャなので、このまま進めると問題が起こる。
キリがないので要点のみ箇条書き
●環境影響評価書の問題点が実に多い。
●地元住民とのコミュニケーション不成立のままの事業推進。
●発生土処分方法未定のまま入札開始。
●流量減少は河川法の想定外。
●大井川の発生土置場設置による自然破壊と災害誘発のおそれ。
●大井川の発生土置場の調査には長期間かかるはずで、とても2027年開業はムリのはず。
●緊急時の乗客避難・救助が困難となることが予想される。
●ユネスコエコパーク管理運営計画との整合性がとれていない。
●国立公園拡張計画との整合性が不透明。
参考文献
【自然保護や開発への考え方】
・姫野雅義(2001)「住民投票が市民を鍛える―吉野川河口堰をめぐって」(筑紫哲也編(2001)「政治参加する7つの方法」講談社現代新書 所収)
・平川秀幸(2010)「科学は誰のものか 社会の側から問い直す」 NHK出版
・原科幸彦(2011)「環境アセスメントとは何か ―対応から戦略へ」 岩波新書
【戦後日本の電源開発と国立公園制度との関係】
・日本自然保護協会(2002)「自然保護NGO半世紀のあゆみ―日本自然保護協会五〇年誌」 平凡社
・村串仁三郎(2011)「自然保護と戦後日本の国立公園」 時潮社
最後になりますが、環境影響評価において、山梨県内でミヤイリガイ(カタヤマガイ)が確認されなかったことに安どしております。寄生虫である日本住吸血虫の中間宿主となっているこの貝。撲滅運動により病気の発生はなくなりました。その一方で、レッドリストに記載されるという妙な事態となっています。残った数少ない生息地のひとつは甲府盆地。人の手で意図的に絶滅せざるを得なかったこの貝が、もしもリニアのアセスで確認されたとしたら、自然保護上の大問題となっていたに違いありません。
「リニア反対派」の方がよく使う「生き物の命は大切。だから自然を壊すな!」というフレーズ。これが、全く通用しないことも世の中にあるのです。