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Channel: リニア中央新幹線 南アルプスに穴を開けちゃっていいのかい?
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国土交通省 交通政策審議会 陸上交通分科会 鉄道部会 中央新幹線小委員会

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山梨県にて「リニア活用基本構想案」というものが打ち出され、県民の声を反映するということで意見募集され、昨日結果が公表されたのこと。40人、141通の意見が寄せられたようですが、そのうち55通が反映困難、36通がその他として適当にお茶を濁すだけで終わっているようです。http://www.pref.yamanashi.jp/smartphone/gyoukaku/public/linear-kt/linear-katuyoukihonnkousou-kekka.html
 
「反映困難」の理由として掲げられているのは
「リニア中央新幹線は、国の交通政策審議会での議論等を経て、平成23年5月に整備計画が決定されております」
からだということです。
 
全てが交通政策審議会の一存で決まっているというご認識のようですが、よく考えると、この審議会もパブリックコメントを理由も説明もなく無視して計画を認可したという経緯があります。(左欄外「パブリックコメント一蹴」をご覧ください)
 
国交省の審議に対し、様々な観点から計画を見直す声が多数寄せられる(パブリックコメントでは7割が批判)
→理由も説明もなく無視
 
山梨県が募集したパブリックコメントにも批判意見が大多数
→「国交省の審議で決まったことだから文句は言えません」との回答
 
これでは国民・市民の声の完全無視ではありませんか・・・。
 
民主的な手続きを経たわけでもない国交省の官僚&エラ~い教授の方々に、どうしてそんな強力な権限が握られているのでしょう?
 
あたかも越後屋と悪代官のようですな。
 
◇   ◇   ◇   ◇   ◇
 
JR東海によるリニア中央新幹線の建設計画を国として審議したのは、前原国土交通大臣から諮問を受けて結成された、「国土交通省 交通政策審議会 陸上交通分科会 鉄道部会 中央新幹線小委員会」という長ったらしい名称の委員会です。http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/s304_sinkansen01.html
 
東京大学教授、京都大学教授などエラ~い先生方がお集まりになり、堺屋太一氏など3人のスペシャルゲストを招き、2010年春から2011年5月まで、途中東日本大震災による中断をはさみながら1年間にわたって審議が行われました。
 
とはいえ委員会というのは名ばかりで、率直に言って実際には何にも議論らしいことをしていません。議論をしていないばかりか、無理矢理な意見すり替えのようなことも横行しています。
 
私が特に注視している南アルプスの環境についての審議などは最たるもので、悪質なので、こちらに文句を別途まとめてあります。http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/chuuoushinkansen-environmental-shingi.html

ところで先日読んだ本にこんな一文がありました。
 
最近はNHKのニュースなどにも出演されるようになった津田大介氏の著作です。文化庁の審議会に委員として出席した際、あるいはジャーナリストとして取材した際に感じた様子を次のように述べています。
 
著作権分野の政策を決定する委員会『文化庁著作権分科会私的録音録画小委員会』に委員として出席して…
 筆者はここで、各省庁の委員会や審議会というものが、政策決定において極めて重要な場でありながら、役人の大いなる意思によって、方向性が決められているお手盛りの会議であることを始めて知ることになる。いかにも”お役所の会議”という雰囲気のなか、利害関係者が集まり、互いに政治的なトークに終始するだけで、なかなか建設的な議論には発展しない。そして委員から提起された懸念点については十分な検討も行われないまま、偏ったメンバーによって決定された法案がそのまま国会に提出され、それがやがて法律になっていく―そんな光景を目の当たりにした。
【津田大介『ウェブで政治を動かす!』朝日新書P22.より】
 
 議論するための知識や、当事者性の少ない委員たちが審議会に招集され、官僚が議論の方向性を決め、予定調和の「全会一致」で政策が決まっていく―これが日本の審議会で見られる日常的光景だ。政策が成立するかどうかは、委員が選ばれた時点でほとんどど決まっている。
 筆者はジャーナリストとしていくつかの省庁の審議会を取材で傍聴したこともあるが、実のところ審議会の議論は、9割近くが無駄話。ありていに言えば退屈な会議だ。それゆえに、ある程度の関心や専門的知識を持ったメディアの記事でも、審議会を継続的に膨張しに来る人は少なく、議論の途中で記事になることはほとんどない
、(中略)議論が広く知れ渡る機会がないままに、多くの問題点を抱えながら法律が決まっていく。
【同書 P26より】
 
私がリニアの議事録を読んで感じた違和感がそのまま文章にされています。
 
う~ん、やっぱり日本の(といっても、外国の様子なんて知らないんだけれども)お役所の審議会なんてそんなものなのか。
 
また、同書で紹介されていた別の本では次のような指摘がなされています。
 
 官僚制の側からみて審議会は、日常業務から切り離されたところで、問題点の検証、代替案の作成を行うための足がかになる。さらに審議会を機能させるために、委員に高い権威を持つ人物を据える。民主的正当性に代えて、専門的正当性を持つことが、その存在意義を保証するからである。業界代替案とともに、当該分野における研究者、識見を持つ財界人など社会的な成功者を迎える。もちろん担当の官僚も専門性を持つが、委員と事務局を兼ねるのは難しく、「元官僚」など関係省庁と関連がある者を委員にする。

 審議会のあり方は多様であり、1つの型に納まらない。ただ、多くの審議会で事務局の官僚が報告書原案を執筆するため、官僚の意図する方針に反する結論は出ないのが普通である。審議会は官僚の「隠れ蓑」としばしば指摘されるが、おおむね正しい。ただし最初から官僚が結論を持っているとは限らない。官僚も審議会の議論によって考え方をまとめ、その議論の流れをみて、社会的に受け容れられる政策をは何かを判断するからである。

 このように審議会は民主的正当性を持たない省庁官僚制が、自らマニフェスト(政権公約)の代替物を作り出す仕組みという側面を持っている。しかし民主的正当性を持たないことの意味は小さくない。
【飯尾潤(2007)『日本の政治構造』中公新書  P122より】
 
リニア中央新幹線計画の是非を審議したはずの中央新幹線小委員会という名前ばかりの審議会が、なにゆえデタラメな審議を繰り返していたか…ということを考えるうえで参考になる一文かと思います。
 
お集まりになられたセンセイ方は、東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学…と大学教授ばっかり。しかもほとんどが交通政策と鉄道工学の専門家。これが「専門的正当性」にあたるという筋書きなのでしょう。
 
とはいえ誰がどのような意図を持って集めたセンセイ方なのか、さっぱりわかりません。どこに正当性やら専門性があるのかさえわかりません。「民主的正当性を持たないことの意味は小さくない」とありますが、確かに住民や国民の意向とは無関係に、官僚(そして官僚の意向を左右する事業者や政治家)の意図に沿って集められた可能性は(根拠はないけれども)非常に高いと思われます(原発なんて最たるものですが)。
 
また冒頭の『悪質なので、こちらに別途まとめてあります。』のリンク先には、南アルプスの自然環境についての審議議事録をコピーしてありますが「自分は専門外だからわからない」という発言がいくつか見られます。
 
はっきり言って、いい加減で無責任です。門外漢ばかりなら、環境省なり自然保護団体なりに専門家を紹介してもらうようなことを、なぜ行わなかったのでしょう??
 
自然環境分野だけでもこの状況ですから、他の様々な分野においても同様であることは、言を待ちません。人口減少と需要予測、緊急時対応、防災対策…
 
「専門家」を隠れ蓑にした出来レースだったのでしょうか?
 
 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇
 
それにしても会議が全て猿芝居なんていうのは、まるで議論が卑しいこととされた江戸時代みたいじゃありませんか。
 
リニアに限らず、こうした体制ってひどい悪質だと思います。
 
 
国会議員ならば、原理的には、イヤなら選挙で投票しなければいいわけです。でも省庁が決定権を握ることには、どんなイヤなこと・問題の多いことでも文句を突きつけることができない。パブリックコメント制度なんていうものが法律で義務付けられているけれども、寄せられた意見がまともに取り上げられることはまずない。特に大きな問題ならば裁判になるようなこともありえるけど、一般人にはあまりにも縁の遠い世界だし…。
 
イヤな世の中ですな。

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