リニア中央新幹線整備事業について、住民グループが差止を求めて行政訴訟を起こす予定なのだそうです。
それで沿線各地から原告の募集をしているようです。
しかしながら、果たしてリニア計画の問題を修正させるために、「訴訟」という手法が有効なのかどうか、どうも分からないのです。特に南アルプスの静岡県側では。
裁判所とは、法制度に照らし合わせて紛争を解決する機関であると認識しております。
それなら、法的な問題がなかったらどうなるのか…?
それ以前に訴訟なんて起こせるのか・・・?
以下、ドシロウトの戯言・杞憂と思ってお読みください。疑問に思われた点などございましたら、ぜひコメント欄へお願いします。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
●JR東海のやっていることはいろいろとメチャクチャであるが…
このブログで常々書いている通り、JR東海の作成した環境影響評価書はデタラメだらけのシロモノです。こんなアホな評価書で事業認可した国土交通大臣の行為は、評価書の審査を適切におこなっていないから、その認可処分の取り消しを求める!それに山崩れの直下の河原を発生土で埋めってようというクレイジーな計画もある。こんなもの許されるはずもない!!
といった具合に、争点にしたいようなところは山ほどあります。
が、誰が原告となって訴えることができるのだろう・・・?
●原告適格の壁
リニアの問題を調べているうえで気づいたのですが、裁判を起こすには、当事者適格の審査があるようです。「訴えられる側と訴える側、双方がその紛争の当事者たり得るか?」ということを審査するわけです。訴えられる側、つまり被告は全国新幹線鉄道整備法に基づいてJR東海に事業認可を下した国土交通大臣となります。あるいは森林法に基づく林地開発許可を取り消そうというのなら知事になります。
問題は原告の側。
リニアのルート上やその近傍、工事用車両の通行ルート、それから発生土置場や車両基地など関連施設予定地周辺に生活する関係者が、平穏な生活や経済活動を脅かされるとして取消しを求めて訴えを起こす場合、原告としての適格が認められる可能性があります。
しかし、最大級の自然破壊の起こる南アルプスの静岡県側の場合、この理論は通用しません。
なぜかというと、いくらメチャクチャに自然を大破壊しようと、土石流を起こそうと、「直接の権利侵害を受ける原告」が存在しないように思われるからです。
ちょっと話題が変わりますが、一般的に、森林地域で開発を行うためには森林法に基づき、土地の改変についての許可が必要となります。この場合において「直接の権利侵害を受ける範囲」の捉え方が、訴訟を起こす原告適格の考え方として重要になると思われます。
過去に、岐阜県でのゴルフ場開発計画において、森林法の林地開発許可申請が出され、これに不服をもった近傍の住民から取消しを求めた裁判がありました。最高裁までもつれこんでおり、この際に最高裁の示した見解が重要であると思われます。
要旨を抜粋します。
周辺住民等の原告適格について、許可要件を定める法の規定(森林法第10条の2 第2項1号・1号の2)は、
①土砂の流出・崩壊・水害等の災害による被害が直接的に及ぶことが想定される近接地域の住民の生命・身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護する趣旨を含むとして、生命・身体に対する被害想定地域内の住民に適格を認めた。
②これらの規定から、周辺住民の生命・身体の安全等の保護に加えて周辺土地の所有権等の財産権までを個々人の個別的利益として保護する趣旨は読み取れないとして、開発区域内とその周辺の立木所有者、開発区域の下流で取水して農業を営む者の適格を否定した。
【最三小判13年3月13日 判時1747号81頁】
越智敏弘(2015)「環境訴訟法」日本評論社 より
越智敏弘(2015)「環境訴訟法」日本評論社 より
同書によれば、この見解は森林法の守備範囲を狭くとらえすぎているようにも見受けられるとされ、ややすっきりしない印象であったようです。とはいえ、法律の規定上はこのような解釈が可能であり、いったん最高裁によって示された以上は、その後も引き継がれているのでしょう。
で、この最高裁の見解に事業計画を照らし合わせてみると、どう考えても、一般市民に原告としての適格があるようには見えないのです。
以下、上記の原告適格の例を参照にして、南アルプス静岡県側における計画について考察してみます。
●発生土置場は”危険ではない”?
JR東海は、大井川上流部の燕沢平坦地に360万立方メートルの発生土を積み上げ、大井川の河原を埋め立ててしまおうという計画をたてています。
周囲は大規模な崩壊地で囲まれていますから、がこんなことを実行したら、周囲からの土石流をため込んで大井川本流をせき止めてしまい、湖を出現させたうえで大規模な土石流が発生するような事態が懸念されます。そのあたりは、このブログで何度も指摘してきたとおりです。
とてつもなくアホな計画です。
しかし、人命や財産に影響を及ぼす可能性のある「災害」は、おそらく起こりません。
燕沢平坦地は無人地帯のど真ん中です。下流側で最寄りとなる井川集落までは30~40㎞あり、万が一に燕沢発生土置場が全量が流出しようと、井川集落に影響を及ぼす可能性はまずないでしょう。まして、下流の島田市民には無関係の問題ですし、流域ですらない静岡市街地の住民には全く関係がない。
図 燕沢発生土置場候補地・畑薙第一ダム・井川集落との位置関係
しかも井川集落の上流には畑薙第一ダムという巨大な発電用ダムが存在しているため、これで洪水流(あるいは土石流)を受け止めることが可能でしょう。畑薙第一ダムの貯水量は1億立米あり、発生土が流入したとしても、堆砂数年分程度に過ぎません。それに、仮に燕沢発生土置場が川をせき止め、湖を出現させようになっても、理論上は、東電の放水路を使って富士川流域に排水することが可能です。
大地震で畑薙第一ダムや東電の導水路が壊れ、なおかつ燕沢で土石流が生じたらどうなるんだ?という疑問を抱く方もおられるかもしれませんが、そこまで想定するのなら、リニアとは別問題となります。
したがって仮に発生土が大流出しても、”災害”にはなりえない。直接的な被害を受ける人間がいないのであれば、この視点より訴えを起こす資格をもつ住民は皆無であると思われるのです。
静岡市の安倍川源流で1707年に生じた「大谷崩れ」では、1億立方メートル以上という桁違いの土石流が生じましたが、この際でも流れ下った距離は10~15㎞であったとされています。
大量の水を含んだ場合は、もっと長距離を流れ下ることもあります。1847年に長野市付近で起きた善光寺地震では、地震動によって生じた地すべりが千曲川をせき止めて湖を出現させ、地震後20日たってから一気に流れ下り、高さ20mにもおよぶ津波のような超大洪水となり、流域の村々を消し去ってしまうという事態が起こりました。しかし燕沢の場合は、川の規模からみて、千曲川ほどの巨大土石流を起こすほどの水がたまることは考えにくいと思われます。水がたまりそうになったら、発電用水路で水を抜くことも原理上、可能です。
●自然環境破壊は裁判になじまない
●大井川の流量減少も裁判のネタにはなり得ない
南アルプスの生態系や景観の破壊はどうなるのだろう?と誰しも思うところです。
過去の裁判では、豊かな自然環境や景観を楽しむ権利を「自然享有権」とし、それが侵されるおそれがあるとして開発を差止めようとしたケースもいくつかあったようですが、今のところ全く認められていないようです。したがって地域外に居住する登山者や釣り人に、訴訟を起こす権利は存在しないと思われます。
自然保護を訴える側からみれば、「これだから日本の裁判所は…」と不満を述べたくなるところですけど、よくよく考えてみれば豊かな自然環境や景観を”楽しむ権利”というのは、そうした嗜好をもつ人々の間でしか通用しない考え方です。そんなものはどうでもいいから開発してしまえと思う人もいるわけで、どちらが正しいのかなんて、法律に照らし合わせて物事を審査することが目的とされる裁判制度にはなじまないのでしょう。
南アルプスの場合、これとて、「権利を侵害される人間がいない」という理由で、訴えが棄却されるのではないかと懸念されます。
自然環境の破壊によって法的権利を侵害される場合は、原告としての資格が認められる可能性があります。例えば海岸の埋め立ての場合、自然を破壊する行為が漁場の消失・水質悪化・生態系の破壊につながり、漁獲量の減少という被害に結びつく可能性があります。良好な景観を売りにしていた観光業者においても、ダメージを受けかねません。これは営業利益の侵害とされるそうです。
ところが南アルプスの場合、無人地帯なのだから、自然破壊にともなって収入に悪影響を受ける人は皆無であり、やはり原告となりうる人物はいません(地権者である特種製紙の場合は当事者たりえますが)。
●「自然の権利訴訟」は門前払い
前項に関係しますけど、自然破壊行為そのものを争点にしたいケースにおいて、アメリカなどでは、ぶっ壊されそうな山とか湖や、そこに生息する生き物といった自然物を原告とした裁判が成立した例があるようです。こうした訴訟を「自然の権利訴訟」と呼ぶそうです。
前項に関係しますけど、自然破壊行為そのものを争点にしたいケースにおいて、アメリカなどでは、ぶっ壊されそうな山とか湖や、そこに生息する生き物といった自然物を原告とした裁判が成立した例があるようです。こうした訴訟を「自然の権利訴訟」と呼ぶそうです。
しかし日本では当事者能力がないと判断され、今までのところ、成立したことはないようです(アマミノクロウサギ裁判、ムツゴロウ裁判、オオヒシクイ裁判など)。”自然物”は、訴訟関係の諸法律で定められた諸規則に従うことができないのだから、原告に適さないといった判断がなされているようです。
というわけで、仮に南アルプスとかヤマトイワナとか悪沢岳を原告としても、裁判自体が門前払いになってしまうでしょう。
物言わぬ自然の声を代弁したい気持ちは心情のうえでは分かるけれども、”ゲゲゲの鬼太郎”や”もののけ姫”の世界ではなく、人間の世界での物事を扱うのが裁判所なのだから、しょうがない…。
●大井川の流量減少も裁判のネタにはなり得ない
下流域の住民が「市民の飲み水がなくなってしまう!」と訴えることが認められる可能性ですけど、これもあり得ないでしょう。
今のところ、JR東海は「導水路トンネルを設けて下流に水を流す」としています。とりあえずは、この案により下流での流量は、とりあえずは維持されることになります。すると水利権の侵害は起こり得ません。住民から見れば水質が気になるところかもしれませんが、島田あたりより130㎞も上流でのことなので、取水地点に来るまでに希釈されて問題は物理的に起こりえないでしょう。そもそも、現状でさえ、島田市に流れている水は、水力発電用トンネルを何十㎞も流れ下ってきたものですから。。。
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裁判を起こせば、否が応でも注目度が高まる!という思惑もあるようですが、それは原告適格が認められた場合の話です。
以上のとおり、裁判の場では、自然破壊を直接的に問うことが困難であり、南アルプスにおいては法的な問題は発生していないという見解を示される可能性が高いと感じます。訴訟というかたちで厳密に法律解釈の場に持ち込んでしまうと、かえって実際に起こりうる自然破壊という問題が、論点から外されてしまうのではないでしょうか。
また、「南アルプスの保全を求めた訴えは却下された」と報道された場合の、世論の受け止め方もきになります。
そういう報道がなされたのなら、世論は
「南アルプスでの自然破壊は起こらない」
「住民はムチャな主張ばかりする」
という方向にたなびきかねません。リニア推進をうたったマスコミも、かような論調に傾倒するでしょう。「法的な問題は起きていない」というのと「自然破壊が起こらない」とは全く別問題であるわけですが、前者を強調するだけに終わるのでは非常に困ります。
法体系が自然環境の保全に十分に機能していないのが現状であるのなら、自然保護をめぐる議論の場は法廷の外においたほうがいいのではないのでしょうか?