さる27日、山梨県早川町においてリニアの工事説明会が開かれた。
(産経新聞記事)
平成39年に東京・品川-名古屋でリニア中央新幹線の開業を目指すJR東海は27日、工事10+ 件の概要や安全対策について、沿線住民向けの初めての説明会を山梨県早川町で実施した。
JR東海によると、同町から静岡市北部を経て長野県南部に抜ける全長約25キロの南アルプストンネルのうち、約7・7キロ区間の山梨工区が同町を通る。ことし12月ごろに着工し、25年秋ごろの終了を目指す。
この日、町民会館に集まった住民は約70人。工事で発生する土砂の置き場を同町内に設ける計画や、工事用車両の通行量が1日当たり最大で350台を超えると見積もっていることなどを説明した。
同社は用地買収や工事の契約締結が済んだ工区から、ほかの自治体でも同様の説明会を行う。
聞くところによると、なんでも地元関係者限定であり、報道関係はシャットアウトという状況なのだったそうな。
何をそんなにコソコソやらなければならないんだ?
聞かれちゃマズいことでもあるのかな?
聞かれちゃマズいことでもあるのかな?
それはともかく、物事の順序としておかしいのである。工事説明会とは、着工を決定事項とした工事の説明である。報道では、12月には用地整備などに取り掛かり、来年春にはトンネル掘削に取り掛かる方針ということであるが、発生土はどうするんだ?
環境影響評価書によると、早川町内へは329万立方メートルの発生土が掘り出される。今回工事の説明対象となった南アルプス側からは232万立方メートルである。
このうち早川芦安連絡道路というJR東海&山梨県との協働事業の関連道路工事に160万立方メートルを使用する計画であるが、これについては、まだ環境調査すら行われておらず、事業開始は早くとも2年は先となる。
どーも、JR東海としては「山梨県の事業だからウチはあずかり知らぬ」という態度らしい。というころは、調査結果次第でルートや盛土量を減らすなんてことは十二分にありえる。そのような場合、早川町内へ掘り出した発生土は途端に行き場がなくなる。工事手順が変更されたり新たな仮置場が必要となるかもしれない。
それに残る70万立方メートル前後については、目途すらたっていないはずであろう。
発生土の行き場が別事業扱いであって未確定なのに、全量を処分可能という皮算用で着工を決めるとは、どういう了見なんだ?
さて気になるのは、今回、説明会の対象となった山梨工区の長さである。記事では7.7㎞と書かれている。
また、今年8月に入札の開始された長野工区については、大鹿村釜沢の坑口から約8.4㎞だという。
早川の坑口から7.7㎞、釜沢から8、4㎞とはこの区間である。
図1 工区の設定
静岡県編評価書を複製・加筆
東からは、早川と大井川との分水嶺をくぐりぬけ、大井川流域に約1㎞入っていることになる。西からは、小渋川と大井川との分水嶺をくぐり抜け、大井川流域に1㎞弱入っていることになる。
したがって大井川流域をくぐりぬける部分約11㎞のうち、約2㎞は流域外から掘り出すことになる。静岡県側への説明は一切行われぬままに、静岡県部分での工事が開始されることになった。
こういう進め方はおかしいのではあるまいか?
それに、これまでの説明との整合性も気にあるところである。JR東海は、評価書では次のようなことと述べていた。赤枠内に注目していただきたい。
図2 水環境にかかる環境保全措置の方針
静岡県編評価書のコピー
工事がどのような順序で進められるのか、現時点で全く見通しはたっていない。今の状況だと、よりトンネル標高の低い早川の方からサッサと掘り進め、大井川流域からの斜坑よりも先に大井川流域内へ到達する可能性がある。大井川流域内であっても、山梨工区で湧出した水は全て早川町へ、長野工区で湧出した水は全て大鹿村へ流れて行ってしまうはずである。その場合に万一大井川の流量に減少をきたしたとしても、大井川流域の地上とトンネルとはつながっていないのだから、地上に水を戻す方法はない。
図3 流域と工区との関係
静岡県編評価書を複製・修正のうえ加筆
左が東、右が西となっているので注意していただきたい
もっとも、大井川流域の地下に計画されているトンネル総延長のうち、流域外から掘るのは約14%である(※)。分水嶺直下は土被りが1000m以上と分厚い区間でもある。流域外への湧出が大井川の流量に与える影響は小さいかもしれないが、もしかしたら地上とつながる破砕帯をぶちぬくなどして想定外の影響がでるかもしれない。どうなるのか分からないのである。
※試算根拠
本坑…11000m、先進坑11000m、斜坑2本で6600m、合計28600m。
山梨・長野側から掘り進めるのは本坑・先進坑合わせて約4000m。
4000m÷28600m≒0.139
つまり約14%
だから評価書赤枠内の想定は、論理的に成り立たない可能性があるわけだ。実際に環境への影響があるかどうかという問題以前に、評価書の論理がまたも崩壊してしまったのである。
この評価書、修正すべき理由がまた増えた。。。