「東海道新幹線沿線に潜在する大規模災害に備えて新幹線を二重系統化する」
これがリニア中央新幹線整備計画の意義として、いの一番に掲げられ、平成23年5月に、整備路線へと格上げされました。
その後、政府は「国土強靭化基本計画」において、南海トラフ大地震への備えとして二重系統化を推進することを意思表明。そして最近、国が財政投融資という制度を利用して資金を貸し付けることも決定。
しかしながら、本当に東海/南海トラフ大地震への備えとして有効なルートなのかというと、いろいろな観点で疑問があります。以上が前回のブログ記事のあらまし。
じゃあ、東海/南海トラフ大地震への備えとして有効なルートが選定されてきたのか、過去の手続き状況を調べてみようじゃないかと思ったのでありました。
本当は計画路線決定時の政府内の議事録などが必要になるのでしょうが、簡単には入手不可能。そこで次善の策として、当時の新聞記事を拾い集めてまいりました。
朝日新聞 昭和45年(1970年)4月13日 夕刊
10年後目標に建設 第二東海道新幹線構想 新方式列車で時速500キロ
国際鉄道連合会(UIO)主催の「世界鉄道首脳者会議」が13日から東京で始ったが、同日午前9時から、東京港区の東京プリンスホテルでおこなわれた開会式あいさつで磯崎国鉄総裁は「1980年ごろには東海道新幹線の輸送能力は限度に達すると予想される。そのころまでに東京-大阪間に、もうひとつの新幹線を建設したい。それは在来方式によらない超高速の…(続きはこちらhttp://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1970-4-13.html)
朝日新聞 1972(昭和47)年11月19日 朝刊
鉄道先導で列島改造 国鉄再建で運輸省構想
新幹線を大拡充 10年間で6000~7000キロ建設 運賃4月から値上げ
総選挙後に予定される国鉄運賃値上げ、新財政再建対策について、運輸省は18日までに、その大筋の構想をまとめた。その骨子は①運賃値上げは48年4月とし、幅は旧計画(旅客23.4%、貨物24.6%)を上回らない②48年度から10年間に、延べ6000-7000キロの新幹線網を…
朝日新聞 昭和48年(1973)年5月24日 朝刊
55年度までに優先建設 第二東海道新幹線 運輸省が構想 現在車改造し時速260キロ
運輸省は、東海道地域の増大する旅客需要を裁くためには、いまの新幹線電車の改良型による第二東海道新幹線を…
朝日新聞 1973(昭和48)年9月22日 朝刊
西日本縦断新幹線を計画 東北など5線はルート内定
東京-本州中部-大阪-四国北部-大分 60年メドに完成
九州東・日本海線も 首相と鉄建審 鈴木会長一致
東京-本州中部-大阪-四国北部-大分 60年メドに完成
九州東・日本海線も 首相と鉄建審 鈴木会長一致
田中首相と自民党の鈴木総務会長(鉄道建設審議会会長)は21日午前、将来の全国新幹線網建設について話し合った結果、すでに建設が決まっている北海道、東北、北陸、九州、長崎の5新幹線のルートを内定するとともに、新たに東京を起点として中部地方-大阪-四国北部-九州を結ぶ”西日本縦断新幹線”と…
朝日新聞 昭和48年(1973)年9月28日 夕刊
全国新幹線網 主要閣僚 一斉に批判 ”独走”首相、不在の閣議
ヨーロッパを旅行している田中首相のる手中に開かれた28日の閣議…
ヨーロッパを旅行している田中首相のる手中に開かれた28日の閣議…
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月5日 朝刊
新・新幹線網 「追加線」も結局諮問? 政府自民 首相帰国待ち調整へ
朝日新聞 昭和48年(1973)年10月12日 朝刊
十新幹線も建議 首相・運輸相一致
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月16日 朝刊
新幹線網 10線も直ちに諮問か あす鉄建審 批判と参院選からむ
新谷運輸相は15日、自民党本部で鉄道建設審議会会長である鈴木善幸自民党総務会長と会い、“西日本縦断新幹線”など…
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月17日 朝刊
自民内に微妙な影 全国新幹線網計画 強気で走る首相周辺 福田氏は根強く批判
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-17a.html
自民内に微妙な影 全国新幹線網計画 強気で走る首相周辺 福田氏は根強く批判
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-17a.html
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月17日 夕刊
五新幹線計画を答申 鉄建審
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-17b.html
五新幹線計画を答申 鉄建審
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-17b.html
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月26日 夕刊
「首相も12路線了承」 新幹線の新計画
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-26.html
「首相も12路線了承」 新幹線の新計画
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-26.html
朝日新聞 昭和48年(1973年)10月30日 夕刊
東京-鹿児島7時間 新・新幹線網を鉄建審で説明 収支見通し 黒字まで長時間
東京-鹿児島7時間 新・新幹線網を鉄建審で説明 収支見通し 黒字まで長時間
鉄道建設審議会(会長、鈴木善幸自民党総務会長)は30日午前、運輸省会議室で総会を開き、さきに新谷運輸相から文書で諮問のあった12路線の新・新幹線基本計画について…
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-30.html
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-10-30.html
朝日新聞 昭和48年(1973年)11月1日 朝刊
12新幹線 鉄建審小委が了承 付帯決議 緊急度考え段階的に
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-1.html
12新幹線 鉄建審小委が了承 付帯決議 緊急度考え段階的に
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-1.html
朝日新聞 昭和48年(1973)年11月2日 朝刊
常磐・釧路・紀勢も 新幹線 将来へ備え調査へ
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-2.html
常磐・釧路・紀勢も 新幹線 将来へ備え調査へ
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-2.html
朝日新聞 昭和48年(1973)年11月3日 朝刊
「12新幹線」本決まり 鉄建審答申
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-3.html
「12新幹線」本決まり 鉄建審答申
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1973-11-3.html
朝日新聞 昭和49年(1974年)3月28日
中央新幹線早める 運輸省方針 55-56年の開通目標
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1974-3-28.html
中央新幹線早める 運輸省方針 55-56年の開通目標
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1974-3-28.html
朝日新聞 昭和49年(1974年)7月17日 朝刊
中央(山岳部分)四国(海底部分)新幹線 調査開始を指示
徳永運輸相は16日、基本計画の決まっている12新幹線のうち、中央新幹線の山岳部分と四国新幹線の海底部分について調査を…
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1974-7-17.html
徳永運輸相は16日、基本計画の決まっている12新幹線のうち、中央新幹線の山岳部分と四国新幹線の海底部分について調査を…
http://park.geocities.jp/jigiua8eurao4/SouthAlps/Shizuoka-news/1974-7-17.html
朝日新聞記事ばかりですが、市内の図書館に置いてあった新聞縮刷版で、古いものが手に取れる場所に置いてあったのが朝日新聞だけだったということで、他意はありません。他の新聞も比較すべきですが、全て閉架だったので…。
さてブログ作者なりに整理すると
●運輸省は、昭和55年頃になると東海道新幹線の輸送力が限界になるとして、輸送力増強のため第二東海道新幹線を建設する必要があると主張。
●当時の田名角栄内閣は、日本列島改造構想に基づき、国鉄の再建計画の中に、建設の内定していた5新幹線(北海道、東北、北陸、九州2路線)に加えて、さらに中央新幹線を含む12路線を追加することを(選挙の関係もあって)主張。
両者の折衷案が、全国新幹線鉄道整備法に基づく、基本計画路線としての中央新幹線ではなかったのか?
こんな感じだったのではないでしょうか?
この間の新幹線関係の記事を読んでも、東海地震なんて言葉は一言も出てこないので、基本計画路線として中央新幹線を決定するにあたり、東海地震を念頭においていたとは、ちょっと考えにくい。
特に昭和47年11月の記事、48年9月22日の記事、49年3月と7月の記事にご注目くださいね。
東海/南海トラフ大地震を考慮せずに決定した可能性の高い路線を、大地震時の迂回路に位置付けて政策決定するのなら、大地震時でも迂回路足りえることを説明する必要があるんじゃないのかなあ?