残土の問題を蒸し返しているついでに輸送路の問題を再掲します。昨年秋に書いたものをベースにしています。
JR東海は南アルプスを横断する長大トンネルを掘るにあたり、南アルプスのど真ん中、大井川源流の静岡市二軒小屋という場所へ斜坑を掘ろうと計画しています。斜坑というのは長大トンネルの工期を短縮するために横から本坑へ掘り進める工事用トンネルのことです。
二軒小屋というのは3000m級の山々に囲まれた秘境の地です。
静岡の市街地から自動車で向かった場合、ヘアピンカーブの県道を経て畑薙第一ダムに至り、さらに未舗装・一般車両通行禁止の林道東俣線を通ってゆくことになります。直線距離では70~80㎞くらいですが、所要時間は少なくとも4時間はかかります。
これだけ遠い場所ですので、工事をおこなうにあたっては、まずは輸送路の確保が問題となります。
ところで大井川といえば、「昔は『箱根八里は馬では越すが、越すにに越されぬ大井川』とうたわれていたが、今では河原砂漠で簡単に渡れる」ということがよく言われます。
その水を取ってしまったのが大小多数の水力発電用ダム。
山奥に巨大なダムを造るにあたり、輸送路の確保はどのようにおこなわれていたのでしょうか。
以下、「井川発電所工事誌」「大井川 文化と電力」(どちらも中部電力編集)に基づきます。
井川ダムは、中部電力によって昭和32年に造られた堤高103mの中空重力式ダムです。全長約180㎞の大井川の中ほど、旧井川村(現静岡市)を水没させて造られることになりました。
建設前の試算では、コンクリート打設総量は53万立方メートルに及ぶこととなりました。骨材(砂利)の大部分はダム湖底となる大井川川床から採取する方針だったようですが、セメントや各種建設資材など、様々な種類の、膨大な量の資材が必要となります。試算では1日あたり720トンの資材輸送が不可欠となりました。
いっぽう工事の行われる井川地区は標高1000~2000mの山々に囲まれた秘境というような場所です。当時は、村人が静岡や大井川下流域に出るためにはケモノ道か登山道のような道を歩くしかなく、生活物資は簡易な索道で運搬しているという状況でした。
完全に外部から孤立していた井川集落にどうやって膨大な資材を運び込むか…。
Wikipediaにも掲載されていますし、鉄道マニアの方々ならよくご存知かと思いますが、結論から言いますと、わざわざ専用の軌道をつくることになりました。現在の大井川鐵道井川線になります。
工事概要は
●大井川鐵道の千頭駅~大井川ダム(現アプトいちしろ駅)約10㎞に設けられていた幅762㎜の軌道を幅1067㎜に改良
●大井川ダム~堂平(現井川駅の東方約1㎞地点)約17.15㎞に軌道敷設
ということが行われました。後者の17.15㎞間は、大井川流域のなかでも最も両側がせまっていて断崖絶壁が連なり、接阻峡とよばれる険しい地形を呈しています。トンネルをいくつも穿ち、高さ100mの橋をかけるなど、まさに難工事でしたが、2年で完成しました。建設費は当時の金額で24億4000億円かかったそうです。
《なお、井川線の列車は車体が小さいために狭々軌と勘違いされますが、実際には大井川鐵道から貨車を直通させるために1067㎜幅の狭軌が用いられています。工期短縮のためにトンネル断面を小さくしたので、車体が小さくなったのです。最小曲線60mというヘアピンカーブもあります。》
完成後は、8トン積みの貨車を8両連結した列車が1日11~12往復程度して、上記の1日700トン強の資材運搬にあたったということです。井川集落の人々が千頭方面に移動する際にも利用されるようになりましたが、その後中部電力が静岡市街地方面へ抜ける道路を完成させた後は、静岡方面との行き来がメインとなっています。また、井川線建設に並行して静岡市街地方面とつなぐ道路の建設もおこなわれました(こちらはダムの水没補償の一環ですが)。
建設前の試算では、コンクリート打設総量は53万立方メートルに及ぶこととなりました。骨材(砂利)の大部分はダム湖底となる大井川川床から採取する方針だったようですが、セメントや各種建設資材など、様々な種類の、膨大な量の資材が必要となります。試算では1日あたり720トンの資材輸送が不可欠となりました。
いっぽう工事の行われる井川地区は標高1000~2000mの山々に囲まれた秘境というような場所です。当時は、村人が静岡や大井川下流域に出るためにはケモノ道か登山道のような道を歩くしかなく、生活物資は簡易な索道で運搬しているという状況でした。
完全に外部から孤立していた井川集落にどうやって膨大な資材を運び込むか…。
Wikipediaにも掲載されていますし、鉄道マニアの方々ならよくご存知かと思いますが、結論から言いますと、わざわざ専用の軌道をつくることになりました。現在の大井川鐵道井川線になります。
工事概要は
●大井川鐵道の千頭駅~大井川ダム(現アプトいちしろ駅)約10㎞に設けられていた幅762㎜の軌道を幅1067㎜に改良
●大井川ダム~堂平(現井川駅の東方約1㎞地点)約17.15㎞に軌道敷設
ということが行われました。後者の17.15㎞間は、大井川流域のなかでも最も両側がせまっていて断崖絶壁が連なり、接阻峡とよばれる険しい地形を呈しています。トンネルをいくつも穿ち、高さ100mの橋をかけるなど、まさに難工事でしたが、2年で完成しました。建設費は当時の金額で24億4000億円かかったそうです。
《なお、井川線の列車は車体が小さいために狭々軌と勘違いされますが、実際には大井川鐵道から貨車を直通させるために1067㎜幅の狭軌が用いられています。工期短縮のためにトンネル断面を小さくしたので、車体が小さくなったのです。最小曲線60mというヘアピンカーブもあります。》
完成後は、8トン積みの貨車を8両連結した列車が1日11~12往復程度して、上記の1日700トン強の資材運搬にあたったということです。井川集落の人々が千頭方面に移動する際にも利用されるようになりましたが、その後中部電力が静岡市街地方面へ抜ける道路を完成させた後は、静岡方面との行き来がメインとなっています。また、井川線建設に並行して静岡市街地方面とつなぐ道路の建設もおこなわれました(こちらはダムの水没補償の一環ですが)。
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井川ダムの次に造られた大型ダムは、昭和37年完成の畑薙第一ダムです。
こちらは井川以上に険しい山奥になります。そこで工事の第一段階(昭和32~34年)は、やはり輸送路の確保となりました。これも辛苦を極めたようで…
●山肌を削って車両の通行可能な道路(幅員6m、総延長20㎞)をつくる
●豊水期には大井川にプロペラ舟(スクリューではなくプロペラで航行する船。浅い川でも航行可能だがすさまじい騒音が生ずる)を航行させて資材運搬
●渇水期には大井川の川底をならして車両が通行
といった経緯を経て昭和34年にダム本体着工となったそうです。すごいですね。高度成長期だからこそ可能だったといえなくもありません。畑薙第一ダムが完成してから16年後に出版された「南アルプス・奥大井地域学術調査報告書」という文献によると、やはり道路工事によって相当に植生が破壊されたことが問題視されています。現在だったら環境アセスメントで確実に問題視されていたことでしょう。
●山肌を削って車両の通行可能な道路(幅員6m、総延長20㎞)をつくる
●豊水期には大井川にプロペラ舟(スクリューではなくプロペラで航行する船。浅い川でも航行可能だがすさまじい騒音が生ずる)を航行させて資材運搬
●渇水期には大井川の川底をならして車両が通行
といった経緯を経て昭和34年にダム本体着工となったそうです。すごいですね。高度成長期だからこそ可能だったといえなくもありません。畑薙第一ダムが完成してから16年後に出版された「南アルプス・奥大井地域学術調査報告書」という文献によると、やはり道路工事によって相当に植生が破壊されたことが問題視されています。現在だったら環境アセスメントで確実に問題視されていたことでしょう。
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大井川流域の最後の大規模電源開発は昭和62年から平成7年にかけて源流域で行われました。
これは赤石ダム(赤石岳と聖岳の間を流れる赤石沢へ建設:堤高58m)の建設をはじめ、大井川源流域に7つの取水堰を設け、総延長約22㎞の水路トンネルで結び、3つの発電所を設けて計86900kWの電力を確保するというものです。
この時代となるとさすがに環境保全の声が高まっていたので、通産省(当時)の通達により、法律によらない「閣議アセスメント」とよばれるものがおこなわれ、環境に配慮したということですが、詳しい内容はよく分かりません。
それはともかく、この一連の工事でも輸送路確保が問題となり、
●畑薙ダムから30㎞近い距離の林道を拡幅・補修する
●大雨による崩壊時にはヘリコプター輸送
●静岡市街地とを結ぶ県道の改良工事
といったことがおこなわれました。
なお水路トンネル掘削ではかなりの残土が出たはずですか、どこへどのように運ばれて処分されたのか定かでありません。発電施設の造成にでも使われたのでしょうか?
渓流釣りの本、あるいはリニア中央新幹線方法書に対する静岡市の議事録などを読むと、この工事で多くの沢が荒らされ、水が涸れ、生態系が乱されたようです。ヤマトイワナの激減には、この工事が相当な影響を与えていたそうな。バブル全盛当時の環境アセスメントは、やはりいい加減だったのでしょうか。
このように、人里はなれた場所での大工事では、まずは輸送路の確保が重要課題となり、また、自然や社会に大きな影響を及ぼします。
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トンネル工事ですから、ダムとは逆に掘り出した膨大な残土の搬出が問題となります(ちなみに井川ダム建設では、残土は井川集落の移転用地造成に使われました)。南アルプスを掘削断面積115平方メートルのトンネル3本(推定長さ計約52㎞)のトンネルで貫きますと、約610万立方メートルの残土が発生します。試算はこちら
これを5ヶ所から均等に運び出すと、一ヶ所当たり122.08万立方メートル、268.4万~329.4万tになる勘定です。砂岩の密度は2.2~2.7t/㎥程度といわれているので、1日あたり436㎥の残土を重さに換算すると約959~1177トンとなります。
井川ダム建設時における1日の資材運搬量に比べて1.3~1.6倍という値です。もちろんコンクリートや資材などを搬入しますから、二軒小屋へと行き来する総運搬量はさらに多くなります。
わざわざ専用の軌道を設けなければ運搬できなかった膨大な量より、さらに多くののモノを、どうやって運び出すというのでしょうか?
やっぱり大量残土の搬出路確保のために大工事が必要となるのでしょう。昨今、静岡で造られた大規模事業の作業用道路-新東名高速道路、布沢川ダム(中止)、中部横断道-は、いずれも幅員8m級の、国道と見まごう立派な道路です。
静岡市清水区に計画されていた布沢川ダム建設のために設けられた作業用道路
・山肌が高さ10mほど切り取られてコンクリートで固められた
・地下水流動、動物の移動を寸断
・外来種の植物が侵入
といった変化をもたらした
こんなものをつくるためには、相当な大工事と自然破壊が必要となり、昭和40年代の南アルプス・スーパー林道建設時と同じ状況となります。
かといって、残土の長距離運搬をあきらめ処分地を南アルプス山中に求めるとしたら、それはそれでとんでもない自然破壊となる…。
このようにリニアのトンネル工事は、相当な自然破壊を起こした昭和~平成の電源開発よりはるかに大きな負担を、南アルプスの環境に強いることが確実だといわざるをえません。JR東海や鉄道建設・運輸施設支援整備機構や国土交通省が「南アルプス貫通可能」というのは、あくまで「技術的に掘削が可能」(かもしれない)ということだけであり、環境保全上は客観的に見ると不可能と判断せざるを得ないことを、ご承知頂きたいと思います。自然保護地域とされる場所でおこなってよい行為なのでしょうか?
このようにリニアのトンネル工事は、相当な自然破壊を起こした昭和~平成の電源開発よりはるかに大きな負担を、南アルプスの環境に強いることが確実だといわざるをえません。JR東海や鉄道建設・運輸施設支援整備機構や国土交通省が「南アルプス貫通可能」というのは、あくまで「技術的に掘削が可能」(かもしれない)ということだけであり、環境保全上は客観的に見ると不可能と判断せざるを得ないことを、ご承知頂きたいと思います。自然保護地域とされる場所でおこなってよい行為なのでしょうか?